ハンセン病研究センターでの実習

医学部に入って1年目、まだまだ教養課程の科目ばかりで医学の勉強をすることが少ない1年生の私たちに、この度「福祉施設実習」という科目が与えられました。

これは、1年生の私達にはとても新鮮に感じられる医療系の授業で、夏休みを利用して1週間ほどの実習を行うものです。学生が5-10人ほどのグループに分けられ、大人を対象とした重症心身障がい者のための施設、子供どもの障がい者のための施設、てんかん患者用のための施設など、さまざまな場所に割り当てられます。

私は、かつてハンセン病患者の隔離施設となっていた「国立療養所多摩全生園」(以下「全生園」)行きました。全生園では、4泊5日の泊り込みで実習をし、ハンセン病に関する講義の受講や元ハンセン病患者のお話を聞くことや、全生園内の病院の見学などをしました。全生園で学んだことや感想を、日程別に述べることにします。

■8月9日(1日目)
この日は、朝、到着後にオリエンテーションを実施した後、4つの講義を受けました。その後、夕方には元ハンセン病の方との交流会、夜には実習参加者と全生園の方々の懇談会、というスケジュールでした。

1つめの講義は、元ハンセン病患者の平沢保治さんのお話を1時間ほど聞きました。今現在、平沢さんは小学校などいろいろな所に赴き、ハンセン病についての講演を一般の方々になさっているそうです。そして、子供たちの人気者だとのことです。現在こんなにも社会で活躍している平沢さんも、かつてはハンセン病ということで差別・隔離を受けたことに、私は非常に残念に思いました。そして、この福祉施設実習の機会を生かして、ハンセン病の医学的な側面だけでなく、偏見や差別といった社会的な側面について、多くを学びたいという気持ちになりました。

講義後、夕方には交流会があり、畳敷きの和室でお茶を飲みながら他の元ハンセン病患者の方のお話を伺いました。実習の参加者は、他大の学生や社会人の方も居て大人数のため4つのグループに分かれました。各グループに実習参加者9名程度、元ハンセン病患者3名、という構成です。私のグループには、今も全生園内に入居している人と、今はもう全生園を出ている方とがいらっしゃいました。3名の体験談を聞き、今現在も残るハンセン病に差別に対して、各人の対応の仕方の違いを感じました。

■8月10日(2日目)
この日は、午前中3つ講義を受け、午後には全生園内にあるハンセン病資料館見学、その後全生園内見学、というスケジュールでした。

講義の一つでは、バングラデシュ生まれの Sumana Barua先生(バブさん)のお話を聞きました。ハンセン病は、日本では新規患者はほとんど無く撲滅されかけている病気ですが、世界ではまだまだ問題となっています。私たちは世界のために何ができるか、そして真の国際協力とは何なのか、考えるきっかけを与えてくれた授業でした。

また、資料館見学では、ハンセン病や全生園の生活について、歴史を含め分かりやすく知ることができました。また、ハンセン病の方が不自由な手で作った陶芸作品もありましたが、あまりに立派なので驚きました。図書館も併設されている資料館ですので、一般の方々により多く見てもらいたいと思います。

全生園内見学では、園内が一つの町であることを実感しました。以前、ハンセン病患者は、生活を著しく制限され、園内だけで生活することを強いられていたため、そこには住居、病院、理髪所、郵便局、陶芸所、そしてお墓などもあります。

■8月11日(3日目)
この日は、午前に講義を3つ、午後に講義を2つ受けた後、施設内見学をするというスケジュールでした。講義の中で印象に残ったものは、義肢装具と自助具についてでした。実際に義肢装具を装着して歩いている患者さんの映像や、後遺症の残る手でも使いやすい食器の現物などを見せていただきました。また、施設内見学では、義肢を作る作業所にも入りました。様々な工具があり、9割以上をオーダーメードで製作するという、きめ細かい対応を見ることができました。

■8月12日(4日目)
この日は、グループごとに割り当てられた箇所に行き、一日中実習をするというスケジュールでした。私は、午前・午後、それぞれ入居者の方の部屋に伺い、さまざまな体験談を伺いました。

伺った部屋は、病棟内で人の手を借りながらも、ご自分の部屋で生活されているという入居者の方の部屋です。部屋は、それぞれに台所やトイレがついていて、アパートの一室のような雰囲気でした。午前に伺った部屋では、ちゃぶ台を囲み座布団に座りながら、何ら一般の方と変らない、おばあちゃんの家に来たような印象を受けました。現在の生活についてのお話では、台所で天ぷらを揚げたというお話もあり、手の先に後遺症が残りながらも、ご自分で生活を楽もうとしている様子を感じました。また、午後に伺った方は、戦時中にスパイをされていたという方で、気丈でハキハキした方でした。午前・午後の方ともに、80歳を過ぎている高齢にもかかわらず非常にしっかりした方でした。

■8月13日(5日目)
最終日は、午前中のみ各箇所で実習をするというスケジュールでした。私は、「やすらぎ病棟」という、高齢や病気のため、もう自分の住んでいた部屋には戻れない方々が生活している病棟を見学しました。痴呆が進んでいる方も多く、ホスピスのような存在の病棟です。

ちょうどこの日は入浴の日であり、入浴現場と入浴後のケアを見学しました。ハンセン病は、手足の抹消神経が侵され、感覚が失われてしまうため、自分で怪我に気づきにくくなります。そのため、入浴後に全身のチェックをして、怪我の手当てをします。また、入浴前に、必要な水分補給量を計算して接種します。ハンセン病の後遺症や高齢に伴うさまざまな気配りの必要を感じました。

■終わりに
今回、全生園での実習を終え、ハンセン病に対する考え方がガラリと変りました。実習に行く前の私は、恥ずかしながらハンセン病についてほとんど無知でした。日本でハンセン病は撲滅されかけていますが、今後、他の病気において、無知が人々の差別を招くことは大いにあり得ます。私たちは、ハンセン病の歴史から学び、今後同じような差別を繰り返さないようにすべきだと思います。



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初めての英文レター投稿


英語論文、その響きは、医学部に入ったばかりの時は私にとって雲の上に輝く星の様な存在でした。なんか難しい顔した学者さんたちが、毎日たくさん実験をして白衣を焦がしたり髪の毛をかきむしったりビーカーを叩き割ったりしながらの日々の末、何十年間の血と汗と涙の結晶として発表するもの・・・、そんなイメージでした。

しかし、この度、英文レターを投稿してみよう、ということをいつもお世話になっている先生(このHPにもたくさん登場します)に提案していただきました。英語論文には、原著論文、総説、ケース・レポート、そしてレターなどの種類があり、レターとは、その時々の学術的に重要なトピックスや、十分な成果を示すまでには至らないものの報告価値があるものを紹介する小論文です。たったA4の紙1枚程度のレターでしたが、初めてのことばかりで分からないことだらけでした。そしてそのレターが、先日、ようやく受理されました。うれしいです!
なので、ここまでに至る過程について、ここに書いていこうと思います。

まず、この英文レターの内容は、自殺未遂者ケアの研修会でとったアンケートを分析するものでした。そのため、アンケート結果を全項目解析し、円グラフ化します。次に、この円グラフを見て、アンケートの項目のグループごとに特徴が無いか、目を皿のようにして眺めます。そしてとらえた特徴について、英文レターの文字制限(500ワード以内)に収まるように、記述していきます。この際、何度も先生から教えていただいた論文の項立てである、「背景・仮説・方法・結果・考察」に則り記述します。

このように書くと簡単なようですが、まずレターを投稿するまでに半年、そこから受理されるまでもう半年、という長い期間が必要でした。なぜなら、レターが完成した後、さまざまなチェックが入るからです。

まず、レターが完成した後に、専門の業者に出して英語に誤りが無いかなどチェックしてもらいます。ここでは、英語のつづりや文法のみをチェックされるのかと思いきや、レターの内容についても「ここはこういう意味で良いのですか?」などと突っ込みが入ります。こちらとしては、「あ、ここの意味が分かりにくいな」などと気が付けて、良かったです。

投稿は、ウェブサイト経由で行いますが、入力すべき項目が多く、見出し語にも不慣れだし、英文の、それこそお手紙をつけなければならないのでなかなか手間取ります。

そして、投稿後はレビューアと呼ばれる審査員みたいな人が、いろいろと質問やアドバイスをくれます。今回は2回、書き直す必要が生じました。しかも、すべてのやり取りは英語のメールです。メールの相手が日本人であっても、メールは英語なのです!しばらく英語に触れてなくて英語脳が錆びている私にとっては、メールの質問の内容がクリアに分からないという戸惑いもありました。レターを直して提出しなければいけないのに、何を直せばよいのか分からない・・・。

とまあ、数々の壁を乗り越えて(というか先生のお力を借り過ぎなほど借りて)、ようやく受理された訳です。ちなみに、英文レターは、受理されると著作権移行の契約書が来るのですね。知らなかった。契約書だなんて、大人の世界という感じです。

こんなわけで、今回、雲の上の星の存在に、ちょっと近づけた気がしました。さらに近づくために、まずは英語をがんばらないとなあ・・・。


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自殺・自死に関する講義を受けて

医療コミュニケーション論という講義の一コマで、夫を自死で亡くされた自死遺族であり、またNPO法人全国自死遺族総合支援センター事務局長もつとめていらっしゃる南部節子さんのお話を伺う機会がありました。南部さんは2004年に当時58歳の夫を自死でなくし、そのとき感じた悔いから現在、全国で自死遺族支援の活動をされていらっしゃいます。南部さんの講話の内容をすべてたどってここに書き記すことは難しいですが、講話の中でもっとも印象的だった内容について、自分の感想を交えてまとめました。

遺族の悔い

南部さんの講話では「夫からのサインを見逃した」「あの時気付いていれば」「あの時怒らずにどうして“帰っておいで”といえなかったのか」など、旦那さまを自死で亡くされたことを何度も何度も自分の責任だと責めたと聞きました。「どうして、どうして…できなかったんだろう」と過去を振り返りながら語ってくださったその言葉にはつよい“悔い”を感じました。「過労、うつ病、仕事上のストレス、色々なことが重なり追い詰められてしまった。うつ病で通っていた病院に仕事の忙しさから通わなくなったり、朝、普通に出かけたと思ったら失踪したこともあった」とおっしゃっていました。確かに、たくさん異変に気づくチャンスは在ったのかもしれないけど、こういった状況に面したとき、その異変に気づき、さらに適切な対処をとることは簡単なことではないとも思います。自殺を図って救急に運ばれてくる患者さんに対して精神科の専門医がカウンセリングにあたることがあるのもそのためなのでしょう。

それとともに、たくさんサインはあったのに気づいてやれなかった、追い詰められた夫を自死によって亡くしたのは自分のせいだと責めた過去をこんなにもまっすぐに学生に話してくださるのは、それを繰り返したくない、もし既にそうなってしまった人がいても、それは一人ではない、ということを伝えるためなのかも知れないとも思いました。医師になろうとしている私たち医学生は、命を預かる専門家として、このような状況に適切に対処できるようになるべきだと改めて強く感じずにはいられませんでした。

講話後には、アンケート用紙が配られ「あなたならどうすれば良いと思うか」という問いを与えられました。今の自分が最低限必要だと思うことは、まず、追い詰められている本人から話を聞かなくてはならない、ということ。そして追い詰められている原因を少しずつでも誰かと一緒に解消していかなくてはならないということ、です。勿論、時には職場の周囲の人から話を聞いたりすることなども必要だと思いますが、どんな時も必ずこの二つはやらなければならないのではないかと思います。(講話直後のアンケートにはこのようにはっきりとは書けなかったのですが…。)そして、この二点をどうしたら実現できるのかという方法について具体的に幅広く知っていて、実際にそれを行えることが大事であることは言うまでもないのかも知れません。しかし、実際に自死等に差し迫っている場面に出くわすことのない(もしくは気づいていないだけかも知れませんが)中で、自分が上のような力をつけるためにはやはり研修会等での勉強が最も効果的なのではないかとも思いました。改めて、現在も様々なところで行われている自殺予防のスキルアップを目的とした研修会に参加し、具体的でより実践的な勉強をしようと決意させられました。


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医学生の勉強


今回は医学生の勉強について書いていこうと思います。

唐突ですが、医学生はどんな勉強をしているのでしょうか。

聴診?注射?手術のお手伝い?

語弊を恐れずに言うならば医学生の勉強の9割は「暗記」です。
医師免許を取るまでは、注射を打つことも診察をすることもできません。
6年間という期間を使って知識を蓄え、土台を固めている段階といえるでしょう。
日々の講義や実習で、先輩医師からそして患者さんから多くの知識を吸収しています。

しかし、そういった講義や実習を通じた学習は往々にして受動的になりがちです。
知識のinputの機会はたくさんありますが、outputの機会は限られているのが現状です。
決められたカリキュラムをこなしていくことも重要ですが、自発的な態度が失われがちだと思います。
ではどうすれば自発的に知識を身につけられるか…

その答えの一つとして「身近な人からの疑問に答える」ことがあると思います。
せっかく多くの知識を頭に詰め込んでも、外に出す機会がなければその知識は消化不良に終わってしまいます。
テスト前に頑張って覚えたのに、終わったらスッカラカン…なんて経験がある人は少なくないでしょう。
知識は人に説明することができて初めて自分のものになったといえるでしょう。


「いま蜂に刺されたんだけどどうすればいいの?!」
「健診で肝芽腫って言われたんだけどこれってガンなの?!」
「ステロイドって副作用怖いから使わないほうがいいよね?」


これは筆者が実際に家族や友人に聞かれた質問です。
これらの質問には絶対唯一の答えなど存在しません。
しかし、疑問に誠実に答えようと、図書館の本を漁り、分からないなりに考え、自分なりの答えを出すプロセスの中にこそ、医学生の学習の本質があるのではないでしょうか。

身近に医学生を見つけたら、ぜひ質問を投げかけてあげてください。
どんな素朴な疑問でも。

その質問から逃げずに苦心惨憺する過程に彼・彼女の成長があるでしょう。


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A病院小児科


今年(2014年)のはじめ、授業の一環として、5週間のあいだ病棟見学というものがありました。基本、病棟見学では、大学の附属病院を見学します。私たちはまだ4年生のため、患者さんに触れる資格が無く、外来や手術室を見学するのみでしたが、それでもやはり今まで受けてきた講義室での座学にくらべ、とても医療を実感できるものでした。

この授業では、1週間ごとに見学する科が指定されていて、私は、臨床検査科、第一外科、脳外科、小児科、神経内科の順に見学しました。そして小児科に限っては、1日、外の病院を見学する日がありました。この、外の病院の見学が印象深かったので、記事を書いてみたいと思います。


私が見学させてもらった外の病院は、A病院という総合病院で様々な科があるのですが、この病院の小児科病棟を回りました。朝、病棟スタッフのミーティングに出た後、病棟を見学します。小児科なので子どもばかりで、みんなとても可愛く、にっこり笑って手を振ってくれる子もいます。ほっこりと嬉しい気持ちになる反面、「この子は入院するような重い病にかかっているのだな・・・」と、複雑な気持ちになったのを覚えています。

しかし、生後2か月の赤ちゃんで、体の症状は軽いけれども入院している、という子がいました。先生の説明によると、この子は、親御さんが経済的困難のために子どもを育てられないとのことで、乳児院に行くまでのあいだ病院で預かっているとのことです。このような形の入院があることを初めて知り、驚きました。


その後は、子どもに点滴の針を入れるところを見学しました。5歳くらいの男の子ですが、「シェーンライン・ヘノッホ紫斑病」という、血管の病気にかかっているとのことです。今までに何度も点滴をされ、痛いことを知っているようで、泣きわめきながら抵抗します。それを、男性の看護師さん2人で優しくたしなめながら点滴の針を刺していました。決して力ずくで行うのではなく、「男にはな、がまんしなきゃいけない時があるんだ」「将来、好きな女の人を守るために、強くなる必要があるんだ」などと説得していていたのには、なるほどな・・・とこちらも納得してしまいました。そして、点滴の針を固定するテープには、ゆるキャラの「ふなっしー」の絵が・・・!!いたるところに工夫が見えて、ひたすら感心する思いでした。

実を言うと、今まで、教科書で「シェーンライン・ヘノッホ紫斑病」は何度も目にしたことがあったのですが、いま一つイメージが湧かず、症状や病気の原因が覚えられませんでした。しかし、実際の患者さんである子どもを目にすると、お腹を痛がっている、皮膚に赤い点々がある、顔が腫れぼったい(むくみ)、など、病気の特徴が、教科書の何倍ものインパクトを持って脳みそに飛び込んできました。それと同時に、目の前で苦しんでいる子ども達に少しでも早く元気になって欲しい、子ども達の命を一つでも多く救いたい・・・、と、将来医師として働くうえでの使命感のようなものを感じました。やっぱり、子どもが病気で苦しんでいるのを見るのは、胸が痛みますもんね。

そんな真面目な気持ちになった後、最後に、新生児室を見せてもらい、この日の見学は終わりました。この病院は、出産後はお母さんと赤ちゃんが同じ部屋で過ごすとのことですが、診察や検査などの必要がある時に、新生児室に赤ちゃんが集められるそうです。小さい部屋に赤ちゃんの寝ているコット(ワゴンのようなキャリーベッド)がずらり。15人近くいるでしょうか。

そして、生まれたての赤ちゃんの小さいこと小さいこと!!!先生に、「手を良く洗って、触っていいよ」と言われたので、手やほっぺを触らせてもらいましたが、やわらかくてちいさくてかわいくてたまりませんでした!!泣き声も、「ほんぎゃー、ほんぎゃー」ではなく、「ふぇぇぇぇ〜〜」とか細く、守りたくなってしまいます。


そんな、母性本能をくすぐられる、病院見学でしたが、来年度の5年生は、実際に患者さんに触れる立場になるのだと思うと、身が引き締まる思いのする有意義な見学でした。
このような機会を与えてくれた、大学附属病院の小児科の先生、A病院の先生、そして子どもたちに感謝しています。

やっぱり子どもってかわいいなあ・・・!!



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病棟実習のはじまり


みなさん、医学部のカリキュラムが4年制ではなく6年制というのはご存じのことと思います。一体全体なんでそんなに長いのでしょうか?それは、教室で行われる講義はほとんど4年生までに終わってしまうのですが、5年生になると、白衣を着て病棟に出る、「病棟実習」なるものを行うからです。そして、私たちも、半年ほど前から5年生になり、病棟実習をさせてもらっています。今日は、その病棟実習について書きます。

まず、病棟実習では、数ある診療科を、3週間ごとに回ります。例えば、初めの3週間は小児科、つぎの3週間は麻酔科、つぎは神経内科・・・といったぐあいです。
こんな風に、1年半かけてつぎつぎに色んな科を回るので、大変ですが、刺激に満ちています。それぞれの科特有の雰囲気があって、実習の内容も結構ガラリと変わります。(例えば麻酔科では一日中手術室に居ますが、神経内科では病棟で患者さんとたくさん話をします)。

そして、4年生までと一番違うと私が思うことは、患者さんと直接ふれ合う機会ができたことです。もちろん、私たちは医師免許はないので、できることは少ないのですが、患者さんの協力と上の先生の監督のもと、入院患者さんの様子を毎日見に行ったり、外来患者さんのお話を一部聞いて、カルテに書かせてもらったりします(もちろんこのカルテは後で先生が確認します)。

そして、こうやって患者さんと直に触れ合っていると、私たちはまるで医療者のように患者さんには見えているのではないかと感じます。入院患者さんとお話をしていても、私の何気ない一言は、「医学生の言った言葉」として、重みをもって患者さんに届くので、きちんとした知識を頭に入れておくことの必要性を感じました。

また、知識と技術に並んで大事なこと、それは社会人としての人格だと思いました。患者さんやご家族の方に失礼の無いように接すること、疲れている患者さんにはできるだけ負担をかけないようにすること、そして他の医療者の方のお仕事のじゃまにならないこと。将来国家試験に受かって研修医として働くうえで、求められることは知識・技術だけではないことを実感しています。

今までと違うことだらけで戸惑うことも多い毎日ですが、一日一日の積み重ねが、将来につながると信じています。患者さんの皆様、こんな青二才の相手をいつもしてくださってありがとうございます。今までに患者さんに何度か言われたことのある、「がんばって勉強して将来いいお医者さんになってね」という言葉を胸に、せいいっぱい歩んでいこうと思います。



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       ハンセン病研究センターでの実習  2010年 夏
       初めての英文レター投稿        2012年 秋
       自死・自殺に関する講義を受けて  2012年 秋

          医学生の勉強                2013年 秋
          A病院小児科           2014年 冬
         病棟実習のはじまり        2014年  夏   ←NEW !!